飯能へ 久しぶりの東京行きだった。果たしてうまく行けるか不安だったが池袋のホテルに着いた時は、ホッとした。 2日間そこから西武池袋線に50分間乗って自由の森まで通った。途中所沢があったが球場は、見えなかった。柿の木が実もたわわになっているのが、至る所に見えた。『さるかに』の話は、本州の話だったんだと改めて思ったりした。後から知ったことだが明治維新の時、幕府方の侍が江戸からずっと飯能まで逃げたりして飯能戦争を起こした場所だともわかった。 今回は、18回目の公開研究会だが、1985年の1回目も参加しているので17年ぶりの自由の森だった。まず教師陣の顔ぶれが、ほとんど変わっていた。 東京明星学園にいた遠藤豊、無着成恭、木幡寛、大友昭、依田節夫、松井幹夫などがすでに退職していなかった。若いメンバーが多かったが、設立時の趣意は、確実に引き継がれていると感じた。それもよりいっそう若々しく。 授業は、1日目に高校の音楽、2日目は、中学の音楽と体育を参観した。いつもの普段着の授業で見ていて安心した。 テーマ別分科会では、韓国講座「日本軍慰安婦問題を考える」に参加した。高校生が総合選択講座で韓国に旅行しそれの報告だった。日本の高校生がこの問題に真剣にとりくんでいる姿を見て、なかなかすごいと思った。 教科別分科会は、社会科に参加。「日本近現代史の授業をつくる」だった。前の学校の全校研で取り組んだのでこれも参考になった。 山口晶男の講演とまとめの会(合唱)は、失礼して自由の森を後にした。内部に問題を抱えたり、子どもたちの中にもやはり問題は、あるみたいだ。 が、そういうことも含めてこの学校が存続することを願ってやまない。 |
茅ヶ崎市立浜之郷小学校教育研究発表会 2004.11.4.
@浜之郷小学校について
1998年開校。現在22学級 721名 「学びの共同体」としての学校
テレビや本で紹介されている。 大都市の郊外に位置している。
教育研究者との連携。
A印象
非常に静かであった。授業の教師の声も小さかった。
2クラスごとのオープンスペース。教室が広く感じた。職員室も。
B授業
普段の授業風景。〜子どもの学びの事実を見る。授業を評価しない。
一人一人が研究課題を持ち、授業終了後話し合い(ジョイントタイム)
全校音楽 校歌「かぜのしらべに」
C午後のセッション、シンポジウム
D感想
公立学校の挑戦、可能性。教師−親 サーヴィスではなく責任の連帯。