2008年8月1日(金)
 今日は、花火大会だった。 

夏の世に 一瞬の花火 消えていく
8月3日(日)
 昨日は、北大で「有珠山と共に生きる」シンポジウム。岡田弘さん、三松三郎さんらのお話を聞く。岡田さんってすごい人だと改めて感じた。実は、サミットの間中、有珠山にいたと言う。題は、「再び直面する有珠山噴火に備えて」だった。最後に「私は、何をやってきたか、残された僅かな時間で何ができるか」で「実態の記録を残す。経験や見聞を伝える。共に行動し共に考える。」だった。

 今日は、開拓記念館でテーマ展「鶴見良行、東南アジア、北海道を歩く」で花崎こうへいさんらのお話を聞いてきた。これまた刺激的だった。帰ってきてから鶴見さんの本を捜したら「バナナと日本人」「マングローブの沼地で」「東南アジアを知る」の3冊だった。残念ながら「ナマコの眼」は、買っていなかった。「マングローブの沼地で」の後書きに「分からなかった相手が分かるようになることは、それだけ自分が変わることです。自分が変わることなしに相手を分かることはできない。」とありここの部分が赤い線が引かれていた。当時の私がつけたのだった。

8月4日(月)
 今日は、環境サポートセンターに「サンゴ礁からみた地球温暖化」の話しを聞いてきた。
沖縄の海のサンゴ礁がオニヒトデなどにより白化しているということ。今年は、国際サンゴ礁年ということ。
それより驚いたのは、クマノミは、同一体が、オスからメスに変わったり、スミレナガハナダイは、メスからオスに変わるという ことだった。
帰りに見たテレビ塔です。

8月8日(金)
 今日から吉増剛造の第2クールが始まった。今夜の内容も映像も刺激的だった。北京でオリンピックも始まった。
今日は、星野道夫さんの命日ということですが、学校で見つけた星野さんの講演ビデオについてメールをした。

夜の中島公園


8月11日(月)
 先週土曜日は、パリ大学の(詩人でもある)ムシャールさんと吉増さんの話。多分この夏最大の学びだろう。題は「異語との対話」 経験そのものが失われるほどの体験、物語として語りつなげることが困難なほどの体験、屈辱感と無力感、可能性の喪失感、そういう状況の中においても「木は芽吹く」のだ。文学とりわけ詩の存在。他者に働きかける書く試み。
 吉増さんは、飯島さんの詩を引用して「空に文字を入れ込む試み」と話していた。ベランダの片付けがようやく終わり、すっきりとなった。なんと1971年12月号の「ユリイカ」が出てきた。総特集は「戦後詩の全体像」という題で若き日の吉増さんも登場していた。林光氏の文章もあった。
 星野道夫さんの事務所から返信があった。楽しみにしているみたいでよかった。
 昼過ぎ、両親の墓参りに行ってきた。

8月16日(土)
 文学館でゴーゾーシネ(吉増剛造の撮ったビデオのこと)を見てきた。早く終わったので自由に閲覧できる所で雑誌「世界」8月号を読んだ。北原みのりの「男の暴力」という秋葉原の事件についてのレポートは、一読に値する。結論部分を極めて簡単に言うと、DVの家庭では、男をバカにするような雰囲気で、「男をバカにするな!」と暴力をふるう。現在は、「男の暴力」について考えるチャンスだということだった。
 午前中に先日紹介した鶴見良行の「マングローブの沼地で」を読んでいると、何んとフィリピンでの「アモック」(狂気)が出てきた。鶴見氏が言うには、「フィリピンのスペインに対してモロ(族)抵抗の歴史みると聖戦(ジハード)が最初にあり、誓討((ホラメンタード)がそれにつづき、最後にまったく個人の抵抗が残る。それが狂気(アモック)だ。「狂気」は、個人が体面を傷つけられたときに陥る一種の錯乱である。かれは、まったくみさかいなく人を殺し、自分も死ぬ。」と。こういう経過をたどるのなら、秋葉原などのは、アモックとは、すぐ言えないのではと思った。
 文学館で、「世界」の後、吉増剛造の「詩をポケットに」(NHKブックス)を読んでいると、韓国の詩人、高銀の「ぞうきん」の紹介があったので載せておく。
 
  ぞうきん
風吹く日
風に洗濯物はためく日
ぼくはぞうきんになりたい
卑屈にならず ぞうきんになりたい
わが国の汚辱と汚染
それがどの程度か、問うまい
ひたすら ぞうきんになって
たったの一カ所でも謙虚に磨きたい
ぞうきんになって、ぼくの監房磨いていた時分
そのころを忘れないようにしよう

ぼくはぞうきんになりたい
ぞうきんになって
ぼくの汚れた一生を磨きたい
磨いたあとの汚れたぞうきん
なんべんでも
なんべんでも
耐えられなくなるまで濯がれたい
新しい国の新しいぞうきんに生まれ変わりたい

8月30日(土)
 吉増剛造のgozo Cine新作上映会に行ってきた。6月からの吉増さんの話、映像も今日でおしまい。今日もたくさんのことが心に残った。「今の年になって、やっと詩の入り口にたっている。」「いろいろやってみて、そのことに意義があるのではない。いろいろやってみて、その中で意義を見つける。」「リハーサル、準備は、やらない方がいい。」ようなことを話していた。
 gozo Cineは、今までより倍近い長さになったいたが、時間を感じさせない。「時間を感じないこともできる。」とも話していた。

講演する吉増さん。