2013年 2月
16日(土) この3週間を忘れることはできない。 1月下旬の寒い中、スキー学習をした。汗をかいて放課後教職員体育で卓球をし、その夜は久しぶりに飲んでユーチューブで音楽を聴きまくった。翌日の土、日、用事で街の中をこれまた汗をかきながら歩いていた。 そんなこともあってすっかり風邪をひいてしまった。 1週目、ひどく喉をやられて声が出なくなった。子どもたちと接するのがとてもつらかった。自分がよく節制できていないことを悔やんだ。休みたかったが、最小限度の予定をこなしてなんとか乗り切った。キャンセルした大切な用事もあったが… 2週目、風邪をひいていたので叔母の病院へ行かなかった。その矢先、叔母が亡くなった知らせが朝早くきた。 叔母の家に行き、伯父、叔母には子どもがいないのでベルコの方と打ち合わせをする。学校には2時間遅れ。 金曜日通夜、土曜日告別式だったので金曜昼から休みをとった。 葬儀では一貫して施主の役割、親戚の仕切り、会計で心身ともに疲れてしまった。 ちょうど3連休なので日、月と休むことができた。 3週目、朝早くまた電話がきた。今度は、芦別にいる伯父が亡くなったという知らせだった。叔母とは10才違いの77歳だった。体調が悪く叔母の葬儀にでられないほどだった。ほとんど同じメンバーがまた集まった。 告別式は、この伯父の息子の45歳の誕生日だった。私にとってもこの伯父との思い出は小学生の頃からたくさんあった。 久しぶりの芦別だった。ここで多感な少年時代をおくったのだ。いたる所に思い出がある。雪が多かった。 高速に乗り1時間半で札幌に戻ってきた。 学校を1日休んだ。代わりに校長が入ってくれた。おかげで学級のたいへんさを理解してくれた。伯父のおかげと言うほかない。 退職8週間前がこの3週間で縮んだ。なんとも言いようがない3週間だった。人の死ということを改めて考え、自分を見直すきっかけともなった。 これらを乗り越えてまた新たに進んでいくしかない。 何回も引用する。 一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残ることなく、露われているのではないだろうか。僕は、現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信ぜざるをえない。 この確からしい事柄は、悲痛であると同時に、限りなく慰めに充ちている。君はこのことをどう考えるだろうか。 ヨーロッパの精神が、その行き尽くしたはてに、いつもそこに立ちかえる、ギリシアの神話や旧約聖書の中では、神殿の巫女たちや予言者たちが、将来栄光をうけたり、悲劇的な運命を辿ったりする人々について、予言をしていることを君も知っていることと思う。 稚い生命の中に、ある本質的な意味で、すでにその人の生涯全部が含まれ、さらに顕われてさえいるのでないとしたら、どうしてこういうことが可能だったのだろうか。また古い記録を綴った人々の心を惹いたのだろうか。 社会における地位やそれを支配する掟、それらへの不可避の配慮、家庭、恋愛、交友、それらから醸し出される曲折した経緯、そのほか様々なことで、この運命は覆われている。しかしそのことはやがて、秘かに、あるいは明らかに、露われるだろう。いな露われざるをえないだろう。 そして人はその人自身の死を死ぬことができるだろう。またその時、人は死を恐れない。 (森 有正 「バビロンの流れのほとりにて」) |