2013年 3月

自分自身を生きる

 定年退職10日前となった。過去への悔恨、未来への不安が交差し、同時に今までの仕事の満足感と未来への喜びがある。
 1月から退職関係の書類と保険関係の書類を並行して整理してきた。その中で今までの自分と将来の自分の人生設計を考えることができた。貴重な体験だった。
 そして1月7日の学習会での学び、3学期の怒涛の3週間、磯貝メソッドでの講習、川合先生との声学レッスン、北大間宮先生の学習会、平岸さぱなでのパソコン講習などまた大きな学びがあった。
 これからは、自分の生き方が変わることは確かだ。いや強い意志で変えていくのだ。一体どこへどんな風に進むのか不安でもあるし喜びでもあるが…
 長い間の学級担任の「責任」からの解放。なんと言ってもこれが1番の喜びだ。一時は「責任の連帯」とか言っていたが最後の方は重しのように圧迫し苦しめてきた。この「責任の連帯」にからめとられてきた。だから給料があったのだが、もう潮時だと思う。だからと言って教育への関わりを捨てたわけでは勿論ない。この情熱がなくなった時が本当の退職だ。定年退職は通過点に過ぎない。
 これにより獲得するのは、時間。2番目の喜びだ。今までの「責任」のため我慢してきたことがたくさんある。そのことの実現のためこの時間を使いたい。
 3番目は、お金。少しまとまったお金が入ることはいいことだ。行動の資金となる。これから行くであろう場所、持ち物、姿、形からも自分自身を変えることもできる。
しかし、うかれてはいけない。失ったものは、過ぎ去った時間と健康な肉体。これらは取り返す術はない。最終的には、着実に死に向かって歩いているのだから。
10日前にようやく落ち着いて展望らしきものが見えてきた。この時期になると決まって思い出す詩がある。茨木のり子さんの「伝説」だ。茨木さんが札幌に来た時、万難を排して一度聞きに行ったことがあった。うす暗い奥の方の座敷に正座しておられた。まるで「伝説」のように…

 伝説    茨木のり子
青春が美しい というのは 伝説である
からだは日々にみずみずしく増殖するのに
こころはひどい囚れ人 木偶の坊
青春はみにくく歪み へまだらけ
ちぎっては投げ ちぎっては投げ
どれが自分か わからない
残酷で 恥多い季節
そこを通ってきた私にはよく見える
青春は
自分を探しに出る旅の 長い旅の
靴ひも結ぶ 暗い未明のおののきだ
ようやくこころが自在さを得る頃には
からだは がくりと 衰えてくる
人生の秤はいやになるほど
よくバランスがとれている
失ったものに人々は敏感だから
思わず知らず叫んでしまう
<青か春は美しかりし!> と