群馬へ そして群馬から
 
 2学期が終わった次の日、僕は子どもたちに渡し残した映画「太陽の子」の券のことを気にしながら汽車に乗った。一人旅は、ずっと前からもう慣れてしまった。2学期が終わったという解放感と群馬へ行けるんだという気持ちが快かった。
 連絡船は、午前0時。青森までぐっすり眠る。4時53分の「はつかり2号」に乗る。夜が明けたころ、もう雪はなかった。仙台9時29分。(ここもいつか必ず来よう)昼すぎの1時40分、大宮で降りた。ずいぶん長く感じた。
 大宮から高崎線で高崎まで。(もう群馬だ)高崎から水上線で上牧まで。目的の上牧温泉に着いたのは、夕方の4時30分。
 前方には谷川岳、道路の横にすぐ利根川が流れている。辰巳旅館で群馬の人と会食。彼らは、とても親切だった。ぐっすり眠る。明日から群民研。
 次の日、月夜野中学校でリズムをする。丸山亜季さん、船戸咲子さんらが来ている。昼から分科会。実践テープを聴く。船戸さんの「オキクルミと悪魔」がとてもよかった。
 夜、一緒になった部屋の人たちと飲む。翌日、川野さんの講演。玉村小学校のテープを聴く。講演終了後そのテープが、もうないかどうか川野さんに尋ねたところ快くゆずってくれた。うれしかった。
その後、作文の分科会に参加。木村次郎さん、松本美津枝さんがいた。北海道から来たことを告げると木村さんは驚いていた。別れる際に確かに「がんばってね」と励ましてくれた。
 3日間の日程も終わり、部屋で一緒になった群馬の先生に車で送ってもらう。利根川ぞいにずっと南下し、境町を通った時、境小を見た。時間がなくなったのでその日は、その先生の家に泊まらしてもらうことにした。
 ずっと聞きたいと思っていた斉藤喜博の島小、境小のレコードを初めて聴いた。「風と川と子どもの歌」全部、録音した。思っていたのと全然違っていた。
 次の日、風の子保育園から借りてきた船戸さんの「オキクルミと悪魔」のビデオを見る。ちょっとマネできない。また駅まで車で送ってもらう。
 外は椿の花が咲いていた。空気は澄んで暖かかった。広い土地が広がり、道は長く続いていた。帰りの汽車の中で僕は何回も何回も「風と川と子どもの歌」のテープを聴いていた。
 
京都の工藤さんが群馬へ行った時、感じた文章を学級経営の反省としたい。
「群馬通信 思いより事実を」 工藤吉郎 (「この時、歌は生まれる」一ツ橋書房)

『その夜、ぼくは自分をかえりみずにはおれなかった。ぼくの障害は、「おもい」だ。〈こんな子どもを育てたい〉という大前提になっている「おもい」なのだ。授業では〈こんな子どもを育てている〉という事実しかないのだ。教師なら「おもい」は、もっていなければならぬ。しかしぼくの場合、この「おもい」ばかりがつっ走って、授業では子どもをひっぱりまわしたり、おしつけたり、子どもの抵抗にあっておろおろしてきたのだ。
授業は「おもい」をさらけだすだけではなく、「事実」をつくりだす場なのだ。しかも事実は、あふれる情感の中からつくりだされるものだということを痛いほど思った。』

 実習生を迎えたり、執行委員の仕事に追いまくられ、ものすごく忙しい1年間だった。音楽の授業も3学期の仕事も何か中途半端で終わりそうな気がする。でも工藤さんのように毎日、少しでもいいから思いだけでなく、事実を、教室の事実を創り上げていこうと思っている。
                                                        1982年1月