娘の二十歳の誕生日 |
今日は、娘の二十歳の誕生日だ。しかし何をするということもなく1日が終わった。もう完全な独立ということなのだろう。朝、起きた時、次の森有正氏の言葉を思い出した。 「僕は船橋の欄干にもたれて、黒い波の上にきらめく銀色の太陽の反射を何を思うこともなく見ていた。大きい鴎が数羽、ゆっくり大きい圏を描きながら船の後からついて来る。時々矢のように水面まで降りては、またものうげな羽ばたきをして上昇する。僕はしかし僕の中に何かがすぎ去ってゆくのを感ぜざるをえなかった。若い日、青春、それが僕の中から決定的に去ってゆくのを。その喜びもかなしみも、不安も、希望も。そうして僕の中には今、新しい日々が、新しい歳月が、もう今度は希望や憧れではなく、忍耐と単調な仕事のリズムをもって入って来る。 僕はそれを両手を拡げて迎える。これを迎え損なってはならない。これを逸してはならない。一度しかない人生の一度しかない青春は、もう決定的に去った。 それは、僕の中に僕自身と、仕事と、そして愛とを残して行った。僕はもう別の新しい僕自身も、新しい仕事も、新しい愛も、求めて右往左往はしないだろう。青春が一度しかないように、忍耐と仕事の歳月も二度とはくり返されないからだ。 僕の青春は、僕の中に背負い切れないほどの重荷をのこして去った。去るべきものは去っていった。僕の中に残ってならないものは出て行った。そして僕の歩みは、大きい圏を描きながら上ってゆく。僕の中に残されたものをできるだけ深く分析し、分析されたもの一つ一つの中にある意味と重味を計り、思索し、おもむろに再び結晶させてゆく。それだけが僕の今後数十年の歩みである。この再びかえらない激しい流れの中では、立ち止まり、ふり返り、躊躇するものは、悉く、荒い流されてしまう。」 (バビロンの流れのほとりにて 1954年1月より) |