今、教員として |
小学校の教員になって32年が過ぎた。今も毎朝、「おはよう!」と元気に子どもたちは、やってくる。私自身教室から離れる道には、行かなかった。 以前、6年生を受け持っていた時、「先生、教師やっていて、あきない?」と聞いてきた子がいた。確かに7〜12才までの子どもたち相手だ。だが、学校が違えば新しい出会いもたくさんあった。だから、あきることは、なかった。 それよりも毎日、事件、ドラマの連続で時間が、あっというまに過ぎていった。朝から寝るまでいつも何かをしているという習慣もついてしまった。何かすることがあるということは、逆にいいことなのかもしれない。 ところが、32年たって残ったものは、膨大な教材・教具、録音した歌声のカセットテープ、子どもたちを映したビデオテープや写真、もう読まない学級通信、文集、様々なプリント資料などで、仕事上なにか作品や業績として残るわけではなかった。 大きくなった子どもたちに会うことはない。すべて記憶の中にその時々の子どもたちが小学生のままでいる。その数も膨大になっている。元小学校教師の船戸咲子さんは、それを「子どもの海」と呼んでいた。 これもだいぶん前の話しだが、「子どもは、昔と変わったか変わってないか?」という話題をめぐって教員仲間で論争している場面に遭遇したことがあった。 今、思うことは、子どもは、やっぱりそんなに変わっていないということだ。 変わったのは、教育政策。それも新自由主義の教育政策(常に二面性をそなえた)だ。「学級崩壊」「モンスターペアレント」「発達障害」「特別支援教育」「不登校」「いじめ」という言葉が生まれた。これらには陰と陽がある。 3年前、私もこの壁にぶち当たった。その時は、「教師生命」の危機でもあったが、なんとかきりぬけることができたのは、友人、知り合いなど自ら求めた他者の力だった。それ以来、授業スタイルを変えた。子どもとの接し方を変えた。笑顔を取り戻した。人をほめることを覚えた。話し方を変えた。職場での立ち位置を変えた。 様々な子どもたちのおかげで教師である自分を変えることができた。教える者が教えられたのである。それは、今も変わらない。心と体と頭を可能な限り柔らかくしながら自分自身を変革していかなければ務まらない。だからあきないのである。 今年は、朝読書で後藤竜二の「三年一組物語」を読み、平井雷太さんの「らくだプリント」をやり、パソコン、スマートボードを駆使し、稲を育て、蚕から糸をとり、「はねこ踊り」をやって、韓国朝鮮の歌を教え、「三年とうげ」の劇をやった。子どもたちは、熱中できるものには、熱中する。 小学生の成長の中でも三段階にわけることができる。1,2年生は、人でいえば少年、少女期。3,4年は、青春時代。5,6年は、成人。そういう風に見て、接すると子ども相手でもしっかり対応できると思う。 私もやがて学校を去るだろう。その時まで林光さんの歌にあるように学校が、「いつまでも私たちのともだち」と子どもたちが呼べるようにしていきたい。 2009年11月 |